2015年09月24日
JSC2015 序章
2015年9月22日に浅草の都立産業貿易センター台東館に於いて
第30回 ジャパンスティールチャレンジ が開催されました。

当時はMGCが開発したモデルガン用のターゲットシステム「シューターワン」を使用したモデルガンによるシューティングマッチでした。
その後、トイガンの主役はモデルガンからエアガンへと移って行き、JSCも第3回からはエアガンによるシューティングマッチとして開催されるように成りました。
↓これは第10回記念大会のパンフレットです。 JSC 10年の歩みや、当時のトップシューター達のコメントが掲載されています。
















この頃のJSCは河原の土手を会場にしていました。 青空の下でのシューティングマッチは開放感が有って気持ち良いのですが、悪天候によって開催が延期される事もありました。 そこで、第14回からは会場を都立産業貿易センター台東館へと移し、天候に左右される事無く安定して開催できるように成りました。
JSCがモチーフにしたアメリカのスチールチャレンジは全部で8ステージありますが、JSCではその中から3ステージを選んで開催していました。 第5回大会からは4ステージ開催に成り、現在の8ステージ開催が定着したのは第25回大会からです(第20回記念大会は2日にわたって8ステージを撃ちました)。
2006年は改正銃刀法の施行よる業界の混乱のあおりを喰って中止と成りましたが、翌年には復活しました。
そして第30回記念大会となる今大会では、アメリカのスチールチャレンジに倣ってルール改正が行なわれました。 アメリカのスチールチャレンジは2007年にUSPSA(アメリカに於けるIPSCの運営団体)に買い取られ、IPSCルールを取入れた新ルールに変わって行ったのですが、JSCではルールの移行が済んでいなかったのです。
銃刀法改正の年に1回だけお休みしていますので今年で31年目のJSCですが、時代と共に変化を続け、また新たな歴史を刻みました。
JSCの歴史についてはコチラ→ その1、その2、その3、その4
競技系パーツならフリーダム•アート http://www.gun-freedom-art.com/





第30回 ジャパンスティールチャレンジ が開催されました。

背景は合成です。
ジャパンスティールチャレンジ(JSC)は、1981年にアメリカで始まったスチールチャレンジ(World Speed Shooting Championship)をトイガン用にアレンジしたシューティングマッチで、1985年に有志のシューター達によって産声を上げました。当時はMGCが開発したモデルガン用のターゲットシステム「シューターワン」を使用したモデルガンによるシューティングマッチでした。
その後、トイガンの主役はモデルガンからエアガンへと移って行き、JSCも第3回からはエアガンによるシューティングマッチとして開催されるように成りました。
↓これは第10回記念大会のパンフレットです。 JSC 10年の歩みや、当時のトップシューター達のコメントが掲載されています。
















この頃のJSCは河原の土手を会場にしていました。 青空の下でのシューティングマッチは開放感が有って気持ち良いのですが、悪天候によって開催が延期される事もありました。 そこで、第14回からは会場を都立産業貿易センター台東館へと移し、天候に左右される事無く安定して開催できるように成りました。
JSCがモチーフにしたアメリカのスチールチャレンジは全部で8ステージありますが、JSCではその中から3ステージを選んで開催していました。 第5回大会からは4ステージ開催に成り、現在の8ステージ開催が定着したのは第25回大会からです(第20回記念大会は2日にわたって8ステージを撃ちました)。
2006年は改正銃刀法の施行よる業界の混乱のあおりを喰って中止と成りましたが、翌年には復活しました。
そして第30回記念大会となる今大会では、アメリカのスチールチャレンジに倣ってルール改正が行なわれました。 アメリカのスチールチャレンジは2007年にUSPSA(アメリカに於けるIPSCの運営団体)に買い取られ、IPSCルールを取入れた新ルールに変わって行ったのですが、JSCではルールの移行が済んでいなかったのです。
銃刀法改正の年に1回だけお休みしていますので今年で31年目のJSCですが、時代と共に変化を続け、また新たな歴史を刻みました。
JSCの歴史についてはコチラ→ その1、その2、その3、その4
競技系パーツならフリーダム•アート http://www.gun-freedom-art.com/





Posted by ドクターあみーご at 21:01
│ジャパン・スティール・チャレンジ