2012年11月21日
JSCの歴史1
2012年11月27日は月刊GUNマガジン2013年1月号の発売日です。
私が担当しているトイガンシューティングインフォメーションでは、去る2012年10月7日に開催されたジャパンスティールチャレンジ(JSC)の模様をカラー3ページでレポートしております。 是非買ってくださいね〜(^^)/
通常より1ページ多い3ページ構成と致しましたが、それでも誌面では書ききれなかった事が沢山有ります。
そこで、フリーダムアート通信では、誌面では書ききれなかったJSCの歴史についてご紹介したいと思います。
ジャパンスティールチャレンジは、1985年にスタートしたのですが、最初はモデルガンを使用したシューティングマッチでした。
「モデルガンでシューティングマッチ???」って思われた方も多い事と思います。
当時、モデルガンのトップメーカーであったMGCは、プラスチック製モデルガンを発火させた時に銃口から出る僅かな赤外線に反応して作動するターゲットシステム(シューターワン)を開発し、モデルガンによるシューティングマッチ(ジャパンビアンキカップ)を行っていました。 ガスガンや電動ガンが開発される以前の事です。 当時のエアガンはコッキング式しか無かったのです。
ファストドロウを別にすれば、このジャパンビアンキカップが日本に於けるトイガンシューティングマッチの源流と言って良いでしょう。
MGCが開発したシューターワンシステムは、多くのモデルガンマニアを、たちまち虜にしてしまい、ジャパンビアンキカップは盛大に盛り上がりました。 シューター達はチームを作り、おそろいのシャツを着込んで切磋琢磨していました。
さて、ジャパンビアンキカップが盛り上がるにつれ、シューター達の中に不満も蓄積されてゆきます。 ジャパンビアンキカップでは、沢山のターゲットを必要とするコースが多く、個人やチームで1個¥7000のターゲットを沢山揃えて練習するのは困難でした。
その為、事前にしっかり練習の出来るシンプルな競技を望む声が高まって来たのです。
そして、少ないターゲットで開催出来るシンプルな競技を模索した結果、1981年にアメリカで始まったスチールチャレンジをアレンジして開催しよう!という事に成ったのです。 スチールチャレンジならターゲットが5個有れば競技が出来ます。 5個ならチームの皆でターゲットを持ち寄って練習会を行う事も出来ると言う訳です。
こうして、村山篤人さん(現在はJCAST会長)率いるチーム「シューティングマシーン」のメンバーによって発足したジャパンスピードシューティングアソシエーション(JSSA)の主催で JSC は生まれたのです。
←記事の中にも有るように、第1回JSCの会場は、新宿の高層ビル群のド真ん中、三井55ひろばで開催されました。 いくら弾の出ないモデルガンとはいえ、通常は野外コンサートなどに使われるスペースを、よく借りられたものだと驚かされます。
当時、主催者である JSSA のメンバーは10代後半から20代前半でした。 若者達の情熱が不可能を可能にしたのでした。
記事の中で「JSCを日本に普及させる為にJSSAを作った」と在るのですが、27年経った現在、JSCは日本で最も人気の有るシューティングマッチに成っています。 若者達の夢は実現したのです。
ところで、上位入手者の顔ぶれを見ると優勝のナリタ選手は現在でもJSCの優勝候補として毎年注目されていますし、準優勝のムラマツ選手はJANPS委員会代表としてトイガンシューティングの普及啓蒙に尽力しています。 28年経った今でもトイガンシューティングに対する彼らの情熱は変わりません。 それほどまでにトイガンシューティングは魅力的なのです。
続きはコチラ
カスタムパーツはフリーダム•アート http://www.gun-freedom-art.com/
私が担当しているトイガンシューティングインフォメーションでは、去る2012年10月7日に開催されたジャパンスティールチャレンジ(JSC)の模様をカラー3ページでレポートしております。 是非買ってくださいね〜(^^)/
通常より1ページ多い3ページ構成と致しましたが、それでも誌面では書ききれなかった事が沢山有ります。
そこで、フリーダムアート通信では、誌面では書ききれなかったJSCの歴史についてご紹介したいと思います。
ジャパンスティールチャレンジは、1985年にスタートしたのですが、最初はモデルガンを使用したシューティングマッチでした。
「モデルガンでシューティングマッチ???」って思われた方も多い事と思います。
当時、モデルガンのトップメーカーであったMGCは、プラスチック製モデルガンを発火させた時に銃口から出る僅かな赤外線に反応して作動するターゲットシステム(シューターワン)を開発し、モデルガンによるシューティングマッチ(ジャパンビアンキカップ)を行っていました。 ガスガンや電動ガンが開発される以前の事です。 当時のエアガンはコッキング式しか無かったのです。
ファストドロウを別にすれば、このジャパンビアンキカップが日本に於けるトイガンシューティングマッチの源流と言って良いでしょう。
MGCが開発したシューターワンシステムは、多くのモデルガンマニアを、たちまち虜にしてしまい、ジャパンビアンキカップは盛大に盛り上がりました。 シューター達はチームを作り、おそろいのシャツを着込んで切磋琢磨していました。
さて、ジャパンビアンキカップが盛り上がるにつれ、シューター達の中に不満も蓄積されてゆきます。 ジャパンビアンキカップでは、沢山のターゲットを必要とするコースが多く、個人やチームで1個¥7000のターゲットを沢山揃えて練習するのは困難でした。
その為、事前にしっかり練習の出来るシンプルな競技を望む声が高まって来たのです。
そして、少ないターゲットで開催出来るシンプルな競技を模索した結果、1981年にアメリカで始まったスチールチャレンジをアレンジして開催しよう!という事に成ったのです。 スチールチャレンジならターゲットが5個有れば競技が出来ます。 5個ならチームの皆でターゲットを持ち寄って練習会を行う事も出来ると言う訳です。
こうして、村山篤人さん(現在はJCAST会長)率いるチーム「シューティングマシーン」のメンバーによって発足したジャパンスピードシューティングアソシエーション(JSSA)の主催で JSC は生まれたのです。


当時、主催者である JSSA のメンバーは10代後半から20代前半でした。 若者達の情熱が不可能を可能にしたのでした。
記事の中で「JSCを日本に普及させる為にJSSAを作った」と在るのですが、27年経った現在、JSCは日本で最も人気の有るシューティングマッチに成っています。 若者達の夢は実現したのです。
ところで、上位入手者の顔ぶれを見ると優勝のナリタ選手は現在でもJSCの優勝候補として毎年注目されていますし、準優勝のムラマツ選手はJANPS委員会代表としてトイガンシューティングの普及啓蒙に尽力しています。 28年経った今でもトイガンシューティングに対する彼らの情熱は変わりません。 それほどまでにトイガンシューティングは魅力的なのです。
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Posted by ドクターあみーご at 19:01
│ジャパン・スティール・チャレンジ